お菓子の『ういろう』の歴史について



 

国道1号線を走り、小田原城へ向かっている途中、あれ?これが小田原城??と思ってしまうほど、大変立派な八棟造りの建物がありました。

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十六の菊の紋が刻まれた格式高い造り、これは小田原城に関する歴史的建造物だ!とおもい、折角なので立ち寄ることにしました。

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で、なんとこちら、室町時代から続くお菓子屋「ういろう」本店でした!

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外郎家の歴史

中国で約1千年続いていた外郎家は、中国・元の滅亡とともに、日本へ亡命し、日本での初代外郎家、陳延祐氏は九州の博多で生涯を過ごします。 外郎家は中国にて、礼部員外郎(がいろう)という役職についていたことがあり、日本では役職名の一部をとって「外郎」(ういろう)と名乗るようになりました。

陳氏は、製薬や医術に関する知識と技術をもっていたため、京都の将軍・足利義満に二代目・宗奇氏が仕えます。宗奇氏が処方する薬は、大変な効き目があり、薬の「ういろう」として、朝廷や幕府に重宝されました。のちに、この薬のういろうは、「透頂香(とうちんこう)」という名を天皇より授かります。さらに宗奇氏は、朝廷で外国使節の接待に供するための菓子を考案しました。これがお菓子の「ういろう」の誕生です。

お菓子のういろうは、サトウキビを原料とする黒糖で味付けされたものでした。このサトウキビは、貴族の栄養剤として当時の琉球より輸入されていました。薬屋だったからこそ、考案することができた外郎家ならではのお菓子ということで、外郎家によって、薬とういろうは大変縁が深い関係にあります。

京都から小田原へ移住

朝廷に仕えていた外郎家でしたが、五代目の定治氏は、北条早雲氏の招きに応じて小田原へ移住することにしました。移住した背景には、応仁の乱があります。一族が戦乱の渦巻く京都にいることよりも、外郎家を二分し、家を守るために移住したといわれているそうです。 結果、京都の外郎家は途絶えてしまい、現在は小田原の外郎家が今日まで家がつづいています。

この五代目・定治氏が小田原へ移住した際に、八棟造りの建物を建設、さらに天皇より綸旨(祝いのお言葉)を賜ったそうです。そのことから、建物が震災などで壊れた際には、八棟造りで立て直すことが家訓となっているそうです。

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「薬のういろう」から「お菓子のういろう」へ

江戸時代、小田原の名物として広く世間に知れ渡っていたのは「透頂香」、つまり薬のういろうでした。歌舞伎役者の二代目市川団十郎氏が持病で声がでなくなってしまっており、薬の「ういろう」を服用したところ、病が治り全快したそうです。このお礼にと、創作されたのが歌舞伎十八番の「外郎売」なのだそうです。 そして明治時代に入り、貴族の接待のために誕生したお菓子の「ういろう」も市販されるようになり、次第にお菓子の「ういろう」も世間に広まるようになっていったそうです。

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「ういろう」本店 店内の様子

様々な存続の危機を乗り越えて、室町時代から約650年、小田原でも約500年の歴史を持ち、現在まで続く外郎家。店内には、薬とお菓子の両方が売られていました。

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まるで博物館にいるような感覚になるほど、店内も厳かな雰囲気が漂っていました。

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倒壊する度に立て直す家訓を肌で感じられます。

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「ういろう」の発祥は・・・?

外郎家の歴史をかみしめるように、味わって頂きました。 もちもち、というか、ねちっとした弾力のある触感に、上品な甘みを感じられます。

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ところで、「ういろう」と聞けば、名古屋というイメージがありませんか? 博多出身の私は、名古屋も有名ですが、博多や山口名物として小さい頃から親しんでいました。各地のういろうをちょっと調べてみました。

福岡のういろう

外郎家の歴史でもありましたが、中国・元より初代外郎家が博多に亡命してきます。そのため、福岡県福岡市にある妙楽寺には「ういろう伝来之地」の石碑が建立されているそうです!なるほど、福岡説はここからきているのでしょうね。

名古屋のういろう

名古屋のういろうといえば、青柳総本家(1879年創業)がまず思い浮かぶでしょう。東海道新幹線の開通に際して、唯一車内販売を許可されたことで、一気に知名度があがります。日本一の販売量を誇り、ういろうの包装技術を開発、進化させたことで土産需要に貢献し、全国に名が知れ渡っています。 歴史が古いのは、餅文総本店で1659年創業です。 餅文総本店の初代が中国・明の出身で、医学、菓子の知識を持っていた陳元贇氏(ちんげんぴん)から製法を学んだのが始まりだそうです。

山口のういろう

室町時代に、秋津治郎作氏がういろうの製法を考案したといわれているそうですが、福田屋というお菓子屋がういろうの販売を行い、中原中也もよく食べていたそうです。ただ、福田屋は太平洋戦争で後継者がなくなり、廃業になってしまいます。その後、福田屋の職人が御堀堂を、福田屋のういろうを食べていた田原氏が豆子郎を創業し、山口のういろうが広まっていったようです。

 

ついつい元祖○○、○○発祥、など、一番最初のお店や土地が気になってしまうのはなぜでしょうか。ういろうだけではなく、福岡の筑紫餅と山梨の信玄餅はどっちが最初?とか、元祖長浜っていったいどこよ?(長浜ラーメンも元祖長浜ののれんがでているお店は博多でもごまんとあります)とか、、、ご当地グルメやお菓子も全国でみれば似たようなものは沢山あると思います。 いずれのお店、土地でも歴史があって、それぞれの特徴があるので、自分好みを探す楽しさという点で、これからも色々な美味しい物と出会いたいなーと思いました^^

 

◆参考URL

ういろう

Wikipedia ういろう

青柳総本店

豆子郎

御堀堂

 

No. 2564

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